<新聞記事内容>
津軽三味線と語りを熱演する白井さん(岡崎ニューグランドホテルで)

岡崎法人会の城北、竜海、北部支部は合同で十二日夜、岡崎ニューグランドホテルで講演会
「津軽三味線弾き語り」を開いた。文化活動の一環で、講師は静岡市在住の白井勝文さん(53)。
白井さんは「魂をゆさぶる津軽三味線の音色に感動」し、十年ほど前にリストラで音響メーカーを
退社したあと、津軽三味線奏者として全国で公演している。この日の演目は「岡崎三郎信康物
語」信康(一五五九-七九年)は徳川家康の長男。母は築山御前。今川氏の人質になったあと、
岡崎城に入り、織田信長の娘と結婚。家康の浜松移転に伴い岡崎城を預かるが、家康と信長の
合意のもとで自害した。舞台には「一弦供養」と書かれたのぼりが掲げられ、白井さんは津軽三
味線のルーツについて説明したあと信康が自害するまでの経緯を演奏と語りで熱演。津軽三味
線の迫力ある響きと表情豊かな語りに、参加した会員らは感動した様子で、大きな拍手がわいた。
「岡崎三郎信康」の脚本は白井さんのオリジナルで、この日が初演。「信康の無念さを伝えようと
曲を作った。私が住んでいる静岡市瀬名は築山御前の生誕地。しかも初演の地は岡崎城脇の
ホテル。何かの因縁を感ます」と話していた。


コラム『ほだらあ』 津軽三味線

津軽三味線の奏者・白井勝文.さんが「岡崎三郎信康物語」を演奏するのを聴いた。
信康はもちろん家康の長男で、信長の策略で非業の死をとげた。白井さんによると津軽三味線
は東北の苛酷な自然環境で生まれたが、全国的に認められるようになったのは昭和三十年代
からという。それまでは無名の人たちで引き継がれ、私も知っている高橋竹山でブームになった。
白井さん自身は、脱サラしてから本格的な演奏活動をするようになったという。テレビやラジオか
ら流れる津軽三味線は聴いたことはあるが、生演奏は初めてだった。どこか哀調を帯びた音色は、
心を打つ。こぶしの効いたバチさばきは、演歌にも通じるものがある。「信康」の脚本は白井さん
自身によるもので、その語りも本格的なものであった。「浄瑠璃姫」も準備しているという白井さん
の活躍に期待したい。(大)


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<東海愛知新聞 平成14年3月14日(木)>


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